過去のわたしの思考を変えるため
○わたしは、やりたいことをやってもいい。
○やりたいことに、楽しんでいることに罪悪感を感じなくてもいい。
○「掃除しなきゃ」「あれしてこれしてからじゃないと、楽しいことできない」と、思わなくていい。無理してご飯を作らなくてもいい。
○楽しんでる自分を否定しなくてもいい。
○楽しく生きてるわたしを大切にしてくれる人たちを、忘れないで。
○全部わたしが悪いわけではない。誰かのせいにしてもいい。
大丈夫、全てわたしが悪いと思って非難を全部受け入れることができたわたしなんだから。わたしは何も悪くない!全部楽しい!って、受け入れることができるようになるはず。
※他にも何か気付いたら随時追加していく
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気付けなかった「愛」
今日たまたま、前の職場を辞めた時のこと思い出したんだ
みんな、泣いてくれたんだよね。わたし、嫌いな人ももちろんいるけど基本的に人は好きなんですよ。まあ色んな人がいるけど、この人はここが良い所、あそこが良い所、っていうのを発見して、確かに厄介な部分もあるけど、良い所を愛して。大好きを、たくさん振りまいて仕事してた。
前の所では、辞めるのが公表されるまでわたしはその人が辞めるなんて全然知らなかったから、みんな言ってないのかなと思ってずっと黙っていた。否、言い出しにくかったのもある。でも、言わないなんてみんなを信頼してないみたいだな……とも思っていた。
色々と打ち合わせミスでわたしは公表されてすぐに辞めることになった。
本当はあと1カ月ある予定だった。だから公表されたらゆっくり挨拶に回ろうと思っていた。急にバタバタ辞めてしまった。辞めるまでに会えなかった人もいる。これは本当に申し訳ないと思ったし後悔した。
最終日は上がりの時間も超えて、会いたかった人に会いに行って挨拶をしたのだけれど、辞めると伝えるとみんな「だめよそんなの」「それは寂しくなるね」「あなたが一番良かったのに」「あなたはとても良い子だったね」と言ってくれて。嬉しくてボロボロ泣いてしまったんだよね。こんなに泣くとも思わなかった。急だったから心の準備も出来ていなくて。まさかこんなに大切にされているとも思わなくて。
「せいせいした?」「今どんな気持ち?」と心無い言葉を投げてきた人もいる。その人たちの言葉は、すごく刺さった。暫く立ち直れなかったな。
たくさんの人から愛のある言葉を頂けて、わたしはこんなに愛されていたのだと初めて気がついたんだよね。
仕事は全然効率良く出来なくてみんなの足を引っ張ってばかりいたし、迷惑ばかりかけていると思ってた。
正直足手まといで邪魔だろうと思っていた。だってわたしの分の仕事まで手伝ってくれるんだもん。
みんなの正直な気持ちはきっと、わたしの思っていた通りだと思う。でも、たくさん愛のある言葉を投げかけてくれて。
辞める前にもっと投げかけて欲しかった、などと欲張りなことも考えたりして。
わたし、小さい頃はお母さんのこと大好きだったし、お母さんに認められたい、受け入れられたいと思っていたけど、全然そんなことなかったんだよね。
世界で一番愛されたかった人に愛されなかったから、こんなに職場のみんなに愛されてるだなんて思いもしなかった。
大好きを振りまいていたら大好きがたくさん返ってきたの、本当に嬉しかった。
どんなにこちらに気持ちがあっても上面な関係なのだろうと思っていた。わたしと母さんのように。
家族と暮らしていた時は「お前なんか無理」「何もできない」「絶対に一人でやっていけない」と罵倒された記憶しかなくて。
その先入観?いや、洗脳?もあって、わたしは何をするにもダメだと思い込んでいる節があるのだけれど。
「あなたならどこでも大丈夫」と言われたの、初めてだった。
お母さん、本当にわたしのこと愛してなかったんだなぁ。
と思ったら、久しぶりに涙が止まらなくなった。愛されたかったな。
楽しかったピアノ
楽しいからやっていたピアノ、楽しいだけでは終われなかったピアノ。
ピアノの発表会に向けて曲をもらって練習して。
まあ、練習よりも遊びたかったから手につかなくて発表会ではミスタッチの嵐だったけれど。
発表会で節目を迎えて、終わったあとは母さんいつも「まだまだ」って言うの。
そりゃ練習しなかったし当たり前なんだけれど。ピアノがなんかダメになってきたな、と自覚し始めた小学4年生の頃から、手放しにピアノを褒められたことが無い。
発表会が来るたびにもっと練習しておけばよかった、と思う。いつも後悔する。でも、頑張って発表会に出たのに、良かった部分もあるのに、「あそこは良かったけどここはダメだったよねー!」「もっと練習して!」「周りの子に負けないぐらい!」って、ダメなことで終わらせなくてもいいじゃない。自分が一番分かってるよ。本当にデリカシーが無いな。
褒められるためにピアノやってた訳じゃないけど、こんなに惨めな気持ちになるためにやってたわけでもない。
これが10年間、毎年続いた。
わたしの気持ち、考えたことなかったのかしら。
わたしのピアノって、何だったのかしら。
母さんにとってピアノをやってるわたしって何だったのかしら。
母さんはきっとわたしが完璧に弾かないと、周りの子と比べても負けない演奏をしないと、満足できないんだわ。
楽しくやりたいだけのわたしなんて、母さんの理想にはいなかったんだね。
ピアノが無くなったらわたしは何になるの?ってぐらい悩んでたのに、簡単に取り上げようとしたものね。
ちゃんと話し合いもしないで、勝手に全部決めないで。全部自分の思う通りに行くと思わないで。
わたしは母さんの娘だけど、操り人形じゃないんだよ。
早くわたしの中から全部、消えてよ。
自分の中から母さんを捨てる作業
前回の占いに行ってから、「あの時もこの時も私悪くなかったじゃねぇか!」と思い出してはキレて「そういえばあれもそれも私ばっかり責めて……!」と怒りにはらわたが煮えくりかえっていて、「母親への殺意」と「自殺願望」が交互にやってきていました。今は大分落ち着いています。
絶対に殺してやる!絶対に殺してやる!絶対に許さない!と思いながら脳内で何度も何度も滅多刺しにして母親を殺す。
どんなに私がキレてても鬱でも母親は今も何も知らずただ笑って暮らしている。どうして私はこんなに辛い中生きていかなきゃいけないんだろう?と、いっそ人生を終わらせたくなる。
絶縁するなんて親不孝かな、と思ったけど、散々親に不幸にされてきたしいいよね。
頭の中でめちゃくちゃ母さんのこと殺してるけど、私の心は比にならないくらい母さんに殺されている。
例えば事故に遭った時とかは加害者に被害の請求ができるけど、人の心を殺した加害者には、被害者のメンタルケアとかの請求はできないんですかね。
なんで私が全部出さないといけないんだよという気になってきた。お前が私の心を散々なことにしてきたんだろうが。心理カウンセリングだって安くないんだぞ。お前が出せという気持ち。
そういう今までの理不尽とかの怒りを思い出して全部爆発させて、私の中から捨てる作業をしています。なんか、田房さんの本にも似たようなことが書いてあったから、ここは避けては通れない宿命なのだと思う。
全部全部、私の中の母さんを、母さんからもらった言葉を捨てる。私の中から全部捨てて、この手の話題を振られてもしんどくならずに落ち着いて話が出来るようになる、までが、今の私の先の長いゴール。かなり長期戦になると思う。
この前地元に用事があって実家に帰った時に、「弟が来年彼女と同棲するから、上京する時に家に泊めてほしい」ということを話されて、本当にこの人は自分の都合しか考えてないのだなと。
え〜やだ〜と断ったけれど、私に断られたらむかーし昔の知り合いの家に泊めてもらっていることを私は知ってる。いや、普通に相手方に迷惑だからホテル探して。
今度また言われたら「家で包丁構えて待ってるから3000万用意しろ、受け取ったら殺してやる」と伝えることにしてる。3000万用意するより1万円のホテル探した方安いのでそちらに行って下さい。着拒してるから連絡来ないだろうけど。それでも家へ来たら自分がどうなってしまうか分からないので警察に相談しよう……私別に犯罪者にはなりたくないし、やりたいこともやらず死ぬのは嫌なのよ……
私が上京したばかりの頃も、うちに泊まりたいと言ってきたことはあったけど、一度も泊めたことはない。
きっと母には「移動費だけでもお金がかかるから泊めさせて欲しいのに泊めさせてくれない我儘な娘」と思われてるだろうけど、私は「娘の気持ちも都合も考えない自分勝手な母親」と思っているよ。
え〜やだ〜って断った時舌打ちされたからね。舌打ちなんかされたら私が一方的に悪いのかと思ってしまうけど、悪いのは「お願いしたい事があるけど相手の都合を考えず押し付けてくるあなた」だから。断られたら断られたで「そっか〜そうだよね、ごめんね」くらいの一言は欲しい所だよ。やっぱりあなたのことが嫌いです。
とまあ、毎日こんな調子で私の中から捨てています。
全く別の人種だった
去年の10月くらいに、「もう家を出て3年目なのに未だに母さんに縛られている気がする」と気付いてからずっとしんどくて、「うちの母さん」というわたしとは全く別の人種をどうしたらわたしの中から追い出せるのか、ずっと考えていた。でも、なかなか方法は見つけられずにいた。
最近、田房永子さんの「それでも親子でいなきゃいけないの?」という本に出会った。そこには自分の親に苦しむ子どもたちの話が綴られていて、思わず田房さんの著書を三冊ほど読んでしまった。まさしく毒親そのもので、どのように辛い経験をしたのか、など、たくさんのことが書かれていた。わたしは田房さんのように過干渉では無かったけれど、親の干渉によって抱いた気持ちは全く同じで、思い出して途轍もなく苦しくなってしまった。でも、そう感じたわたしの気持ちは間違ってなかったんだ!と思うと凄く安心した。
「話をしたくない」
「顔も見たくない」
「メールが来るとさぶいぼが立つ」
「連絡を取りたくない」
「絶縁したい」
「法さえ許していれば、とっくに殺している」
こう思っても、良かったんだ。
そう思ってしまうぐらいことをされていたんだから。
田房さんの著書を読んでいると、この心の苦しさについて「メンタルクリニックや占いなどに行ってみてもいい!」と書かれていたので、思い切って占いに行ってみることにした。
占いは前々から友人たちと行っていたところがあって、いつもは今後の人生や恋愛などについて見て貰ってたけど(友人がいる手前、親の相談がしづらかった)、初めて一人で親との関係について相談してみることにした。
答えが出るのかは、分からなかった。もしかしたらめちゃくちゃ相性がいいと言われるかもしれないし、思いもしなかった結果を言われるかもしれない。でも、「心療内科に行く」とか「占いで母との関係を見てもらう」とか、やってみたかったけど今まで超えられなかった一線を越えることは、この先の一歩になるかもしれない。「そこまで病んでないし……」「生活に支障出てるわけではないし……」「何よりお金かかるし……」と思って少し敬遠していた部分もあったけれど、頑張って足を運んでみた。
すると思っていた通りの、驚きの言葉ばかり投げ掛けられることになったのである。
「まずあなたは感情豊かで繊細だからとても傷つきやすい。あれしなさいこれしなさいと言われても、そこにちゃんとした『理由』や『根拠』が無いと、納得して出来ない性格」
「対してお母さんは、デリカシーがない。そして自分の言うことが正しいと思ってるから、思ったことをズバズバ言う。でも論理的とかそういう面は無いから、言うことに一貫性がない。あの時ああ言ってたのにこの時はこう言うとか。だからあなたはそれが嫌になってしまう」
「でも、あなたはそれを聞いてしまう。親の言うことだから……って我慢して」
「あなたとお母さんは合うところが一切無い。小さい頃からずっとモラハラとパワハラを受けてきたようなもの」
「お母さんはデリカシーが無いから、なんであなたが傷つきやすいとか、なんで泣いてるかとかも理解できない。でも自分の言うことが絶対正しいと思ってるから、何であなたが自分の言うことを聞けないのかも理解できない」
「あのねえ、接点があればここからこうして……ってアドバイス出来るけど、一つも接点が無いから関係修復は無理。話をしても無駄。向こうが話を理解できない」
「こちらがどんなに傷ついてても、相手にはノーダメージ。だから物理的に距離を置いて、今後一切関係を絶った方がいい」
「結婚して、一切連絡を取らないとか。お父さんにも理解してもらって……」
「お母さんが言ってたことは、一つも聞かないでいい」
「忘れるのが一番……。あなたは一つ嫌なことを言われたら、芋づる的に全部嫌だったことを思い出してしまう人だから、忘れるのは難しいかもしれないけど……」
「ひとつ救いだったのは、あなたは独立心が強かったということ。それが無かったら、今でもお母さんと一つ屋根の下でメンタルやられてたと思うよ」
「お母さんとあなたは全く別の人だから、お互いに理解できない」
わたし、もう母さんのことを理解しようとしなくていいんだ。
母さんの話聞かなくてもいいし、母さんと関係修復しなくてもいい。
母さんの言う通りに出来なかったからって、わたしが悪いと思わなくていい。
ずっと苦しかった まだ母さんの言葉が、わたしを支配してる
もう母さんを考えて過ごさなくていいんだ。
占い師にそう言われて、やっと誰かに認められたような、そんな気がした
友人たちに話したこともあったけど、やっぱり分かってもらうのはなかなか難しくて
誰にも分かってもらえないと思ってた
「もしこれが男の人で、会社の上司だったら、もうモラハラパワハラよ」
「それをあなたは一身に受けてきた」
しかも、母と弟とのダブルコンボで。
お父さんとずっと離れて暮らしていたけれど、大人になって久しぶりに話してみたら「あれっ?親ってこんなに子どものこと考えてくれるんだ」って思ったもんなぁ。
思えば小学生の時に「中学生になったら一人暮らししたい!」と思ってたくらい独立心強かったのに、それから10年もあの家に住まわされて。大変だったよ。精神おかしくなってしまうかと思ってたよ。実際おかしくなってたわ。
あれもこれも全部お母さんのせい!
今まで母さんからもらった言葉を、わたしの中から、全部、捨てる。
もう親のことも家のことも気にしなくていいんだな。
全然気にしてないと思ってたけど、こんなに気持ちが晴れやかなのは、深層心理のどこかでずっとそう思っていたからなんだろうな。
わたしの考えてたことっておかしいことじゃ無かったんだと思ったら安心した。
しかしこれを、周りにどう理解してもらうかが問題である。
「絶縁したいけど、世間の目を気にしてできない!」
わたしって親不孝?と思っていた。でも、わたしだって散々親に不幸にされてきたよな。気にすることじゃない。今はそう思う。
でも、もし結婚するとして。親に紹介したりしなきゃいけないんでしょう?苦痛だ。
このことを彼に理解してもらえるだろうか?
わたしが母と関わりたくないと言うことを、父に理解してもらえるのだろうか?
今後の問題ができた気がする。。
でも、よかった。来てよかった。
わたしと母さんは別の人種なんだって証明されたんだから。
ひとつ、問題が解決した気がする。
わたしが母さんのことを考えなくていいということに。
本当に良かった。
とりあえず着拒した。
正解以外を言ってはいけない?
昨日彼氏と泣きながら言い合いになっていて気付いたんだけど、「なんで泣いてるの?」って聞かれると「(あれでこれで、それだから)」と心の中では大声で叫べるものの、口に出すのはなんだか怖くてずっとだんまりになってしまったんだよね。
これって昔にも経験したことがあったなと思って、母に「なんでああするの?」「こうするの?」「なんで泣いてるの?」って聞かれた時も、理由を言えなかったな、と。「なんで」って言われると凄く責められている気がするしね。その時点で間違ったことをしてしまったのでは、という恐ろしさが脳を支配する。
「正解を言わなきゃいけない」「間違ったことを言ってはいけない」と思っているから、「わたしはこう思うけど、実は間違ってるんじゃ」と思うと、怖くて言えなかったんだな。
もうあんまり記憶に無いんだけど、実際母に言っていたら全否定を食らっていただろう。あの人は受容ってものを知らないから。
「苦しかったんだね」「悲しかったんだね」「辛かったんだね」「そんな風に思っていたんだね」そう言ってもらえるだけで、きっととても視界が開けたのにね。
今のわたしが、あの頃のわたしに言ってあげるしかない。
彼氏との言い合いは、喧嘩という喧嘩ではないのだけど、わたしがちゃんと伝えたいことを伝えられたので無事解決した。言いたいことを言う、言いにくいこともちゃんと言ったら伝わるかもしれない。思ったことは割となんでも素直に伝えるようにしてきたけれど(時々物凄く我儘を言っている気分になる、実際そうかもしれない)、根底部分の「正解以外は言ってはいけない」というところを直すのは、まだまだ時間が掛かりそう。
「自分の気持ちを伝えることに正解など無い」。自分の気持ち、意見を伝えることの怖さ。受け入れてもらえないかもしれないと思うと、怖い。どうしたらこの怖さを払拭することができるかな。
これって「小さい子が勇気を出したら破ることのできる殻」の中にずっといるのかも。今から殻破るの大変だな……。
わたしのゴール
わたしはいつになったらやりたい事をやっていいんだろう?
もしかして、もうやってもいいんじゃない?
わたしって、楽しいことしてもいいの?
結局、やりたいこと、楽しいことしたらダメだって言われてきたようなもんだから、わたしは楽しんじゃダメなんだ、苦しまないとダメなんだと思っている節があるんだよね。
楽しいことをしている時、やっちゃいけないことをしているような気になる。
わたしが自分を否定せず、自分を責めることなく、過去に囚われず、やりたいことをやって、自分で決めて自分のために生き続ける。それがゴール。
そのゴールにたどり着くには、わたしは何をしたらいい?
自分を否定しないのって、どうしたらいいの?
そのために、少しずつ過去の自分に向き合って、過去の自分を肯定して、前を向いていきたい。
あの頃は大変だったねって、過去のわたしに語りかけて。
わたしがわたしのことを否定してごめんねって。
でもあの時はわたしを肯定してくれる人がいなかったから、本当にわたしはダメなんだと思ったんだ。