決められない話

よくある、学級会などの「これに対してはどう思う?」「学園祭があるのでやりたいこと申し出てください」などの意見を出す場。とてつもなく苦手だった。

「これに対してはどう思う?」と聞かれるとプチパニックになり、ええとええと、とオロオロすることが多かった。「どう思うことが正解なの?」と正解ばかり気になって、他の友達が「これはこうだと思う!」という意見を聞いて、「ああ、そういう回答が欲しかったのか」と納得する、という事が多かった。友達がした回答のような発想は微塵もないのだ。

「学園祭でやりたいこと申し出てください」と言われても、「学園祭と言われても……劇とか?カフェ?」「でも準備するの面倒臭そうだし、わたしは劇なんて出来ないし……」とデメリットに感じたものは全部言えず、「(なんでもいいよ、そんなの……どうでもいい……)」と、心の中でぼやくだけだった。

そう、「どうでもいい」、と思っていた。胸が痛んだ。なぜ痛んでいるのか分からなかった。でも、どうでもいいわけでは無かった、ということだな。「わたしがわたしの意思を無視している」という事実は、自分で分かっていたんだ。

いずれ、本当にどうでもよくなってしまった。でも、決められたことにはちゃんと取り組むと心に決めていた。

 

今でも、例えば「ご飯何食べ行く?」となって、「肉?魚?」など、聞かれても答えられない事がしばしばある。相手が決めてくれたら楽なのに、と思う。でも食事に関してはきっとみんな面倒臭いよね。けど、比較的決めてもらっている事が多い。

今日着て行く服さえ、昔は決められなかった。まず、自分で服を買えなかった。お金が無かった。時たまのショッピングも、高いものはきっと買ってもらえないという諦めが先行していて(実際そうだったし)、安い服ばかり選んで、悩んで悩んで垢抜けない服ばかり買っていた。ファッションの知識も無かったから、周りに追いつくのは2年くらいかかってたし、ファッション誌も買ってもらえなかった。その反動で、今では、あの頃手の届かなかった服ばかり選んでいる。

「自分で決める」ことを教育されなかったので、自分で自分を教育するしかなかった。今では、なるべく自分で決められるようにしている。ちゃんと頭で考えて、悩んで、「肉が食べたい!」と言うようにしている。それさえ結構な決意だ。

自分で自分を決められるようになってきた今は、だいぶ自分の色が付いてきたような気がする。あの頃は、何も自分のことを決められなかったから。自分が何者なのか、分からなかった。

今まで一番辛かったのは、「習い事のピアノを続けるか」、「進路はどうするのか」、だったと思う。